ワイドなショーで乙武さんが義足をつけてた。
俺は17から22くらいまで、真剣にバンドやってて、CDも二枚作って、配布してた。
今思えばあんな、低レベルでよく活動してたもんだ。それでも、渋谷のチェルシーホテルあたりでもライブしてた。
主に横浜で活動してたけど、よく対バンするバンドのvoが義足だった。
すぐ仲良くなってお互いのライブを見に行ったり企画に参加してもらったり、参加したりしてた。
俺のバンドは俺以外全員、イケメンだったから、そこそこ客はいた。
だけど俺は、客に喧嘩売ったり、ステージの上で、メンバーをバックドロップしてた。
BLANKEY JET CITYは音で喧嘩してる。
俺たちにそんなテクニックはないから、本気で喧嘩しよう!ステージで喧嘩して、
クソみてぇーな、イケメンバンドと対バンしたときは、喧嘩売ろうぜと、、
当然、女の客が多いときには、ヤジを入れまくって、下ネタ言いまくって、ぶちかましてた。
でも、何人かはそんな俺のスタイルを認めてくれてた。
ライブが終わるといつも怪我をしてた、アキレス腱が切れて、松葉杖で大学までいったこともある。
義足のvoの人は当時でもう30歳だった。
スパルタローカルズやゆらゆら帝国みたいな、特殊なジャンルで、カッコよかった。
俺は彼に言った。義足を外して客を殴るのどうですか??それか、俺の足を返してくれ!!ってひたすら叫ぶの!!!
義足をピストルにして、明日にむかって撃て、
とか、適当なことをいってた。失礼だよねよ。
いいね!最高だな!と彼は言った。
ロックは障害やコンプレックスを武器にできる最強の音楽なんだ!俺は今でも思ってる。
弱点が強みになるだ!それがロックだ!
だから、俺は何も伝えることのない、ファッションバンドが本当に嫌いなんだ。反吐がでる。マジで!!
彼は、高校のときに、足に癌ができて切断したらしい。
もともと、冷めてた人だったので、すぐ受け入れたけど、
足を切断した夜、病室でBLANKEY JET CITYの
青い花をを聴いて、泣いたらしい、それが最初で最後だったらしい、泣いたのは。
冷めてるけど、明るい人で、
義足の吉川晃司!!とか言って、よく踊って笑わせてくれた。
でも、彼はよく俺にいってた。自分の思ってる感情や怒り悲しみを曲にするお前は素晴らしいと、、演奏は下手だけどねと、、
ライブが終わると、伊勢佐木町公園で、コンビニの安い酒で飲んだ。
見に来てくれた客や、対バンしてた奴らと朝までロックについて語った、気がついたらホームレスまで参加してた。
そして、絶対にロックで世界をぶっ壊すと俺は誓ってた。
義足の彼には高校生の彼女がいた。
30歳、パチンコ屋のサクラのバイト、そんで義足、なのに、彼女がいた。ショートカットでとても可愛い彼女だった。
彼はいつも、制服の彼女を立たせて、パンツを見ながらオナニーするのが最高だと、自慢してた。
毎月ライブして、叫んで、学校は適当。そんな日々が数年続いたけど、
俺のバンドは解散した。
それから、新しいバンドを組んだけど、なんかしっくりこなくて、いつのまにか音楽は辞めてた。
義足の彼はとても悲しんでくれた。ロックをしてない、お前なんてただの、不細工だ!!って怒ってくれた。
俺は音楽から離れて、ベンジーとBRAHMANのライブにばかり行くようになった。何かを埋めるように、、
それから、数年後、義足の彼のバンドも解散した。 そこそこ有名なバンドと対バンしてたし、売れると思ってたのに、
久々に横浜で彼と飲んだ。
彼女とも別れて、彼の目は死んでいた。仕事もなくて、パチンコ屋のサクラのバンドでつないでいた。あとは引きこもりらしい、
思い出話しで盛り上がったのは、たったの数分、虚しくて虚しくて、俺は泣きそうになった。
お互い、ロックをしてない、何も夢がない。
特に語ることなんてなかった。
そして、義足の彼とはもう会うことはないんだろうなと。そのとき思った。
別に嫌いなったとか、そんなんじゃない。
ただ俺は、虚しかった。彼を見てると、虚しくなった。そんで、自分が情けなくて、情けなくて仕方なかった。
彼は、義足だからって、気を使われることを極度に嫌っていた。ほっといてくれと、笑いながらいってた。
あの時、俺たちのバンドが解散しないで、続いてたら、、いや、売れてるわけがないか、、
ただ、俺は義足を武器にロックしてるバンドがあったら、絶対に、ファンになるな!
彼は今なにしてのかな?噂だと、肝臓を壊して、引きこもってるらしい、、もう40代だしな。だって、当時の彼の歳に俺がなったんだからな。
別に友達でもないし、繋がってるわけでもない、いや、違う。思い出したくないんだ。
バンド繋がりの友達と8年ぶりくらいに、この前飲んだ。
バンドじゃなくてもいい、何でもいいから、お前は自分を表現することを辞めるな!って言われた。
おい!このブログみてるか?残念ながら、ここしかないよ。俺の表現する場所は。
そして、義足の彼がステージで歌ってる姿を思い出した。
客のまばらな、ライブハウスで、義足の彼は、フェンダーもって、ロックしてた。
ロックで世界は変わらない。
でも、あの時の俺たちは本当に変えようとしてた、何もないのに、何も武器なんてないのに、変わると思ってた。
今でも少し思ってる。
あの頃に戻りたいなんて思わないけど、、
ロックには国境も差別もないんだぜ!!って思う。